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水戸地方裁判所土浦支部 昭和37年(わ)179号 判決

被告人 位藤正喜

昭一〇・七・六生 無職

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は

被告人は

第一、昭和三七年一一月二五日午後九時三〇分頃茨城県行方郡玉造町乙一、一一九番地の三、橋本信方物置内において同物置及びこれに接続する右橋本方居宅に放火しようと決意し、所携の小マツチを使用して前記物置内の積藁に放火し、よつて前記物置一棟(木造トタン葺平家八坪七合五勺)及び前記橋本方において現に家族の住居に使用している前記居宅一棟(木造瓦葺平家一七坪)を全焼せしめてこれを焼燬し

第二、前同日時頃前記物置前路上において右橋本信(当四九年)が出火に驚いて屋外に飛び出してくるや、附近にあつた万能でその肩を一回強打し、よつて同人に対し治療約二週間を要する右上膊部裂創を負わせ

たものである。

というのであり、以上の各外形事実は本件各証拠によつてこれを認めることができる。

ところでまず本件犯行に至るまでの経緯について考察してみると、伊藤正夫の検察官並びに司法警察員に対する各供述調書、成島良昌の司法警察員に対する供述調書、検察事務官作成の判決謄本(二通)府中刑務所長作成の「収容中の動静に関する回答」と題する書面、府中刑務所作成の「事実調査方について」と題する書面被告人の当公判廷における供述、被告人の検察官並びに司法警察員に対する各供述調書等を綜合すると次の事実が認められる。即ち、被告人は昭和三一年七月二三日水戸地方裁判所土浦支部において現住建造物放火未遂罪等により懲役六年の判決を受け水戸刑務所において服役中更に昭和三二年一月三一日水戸地方裁判所において傷害罪により懲役五月の判決を受け同年三月二九日府中刑務所に移監され爾来同所において右各刑の執行を併せて受けていたものであるが昭和三三年一〇月七日同刑務所雑居房内において同房の既決囚名倉義一より所謂鶏姦行為をされ、更に翌日も同様の行為を要求されたため、これを嫌いこのことを看守に告げた結果名倉に対し軽屏禁三五日の懲罰が科せられたが、右名倉が新宿の所謂ヤクザであつて殺人罪により服役しているとの話を聞いており又、その後同人が被告人に対し口もろくにきかなくなつたことから、同人が被告人の右申告を根に持ち、出所後社会に出た暁には自分に仕返しをするのでないかといたく心配するようになつた。昭和三七年一一月二三日被告人は刑期満了により出所することになつたが、この時既に名倉は出所しており自分が予定通り出所すれば、名倉又はその子分が仕返しのため待ち受けているに違いないと考え、刑務所当局に申出て通常の出所時間より一時間早く出所させて貰い、その日は名倉の目を逃れるため、自宅に帰ることをせず、府中市内等を歩き廻つた挙げく国分寺駅前の旅館に一泊し翌二四日朝国分寺を出発茨城県行方郡玉造町所在の自宅に向つたが、名倉の追跡を断つ目的で、電車、タクシー等を次々と乗り継ぎ、或いはわざと自宅と逆の方向をとる等し、結局同日の夜一二時近くになつて土浦駅で下車し、その晩は市内を歩き廻るなどして夜を明した。翌二五日朝同市内桜川堤付近に至つたところ、同所にいた釣師の姿を見て、これを名倉の手下が釣師に変装して自分を待ち受けているものと思い込み、直ちにその場から逃げ出して土浦駅前の交番に保護を求め、しばらくそこにいたが、偶々釣師の服装をした者が同所に道を尋ねるため立寄つたのを名倉の手下が自分を追跡した来たものと考え、驚いて再びそこから逃げ出し、約一五〇米離れた民家の土間に入り込んで隠れていたが、交番からの知らせを受けた被告人の父及び叔父がそこに迎えに来たので同人等と共に帰宅するべく玉造町の自宅に向つた。しかし被告人は途中電車内等に名倉の子分がいるような気がして不安でたまらず、玉造駅に着くと同時に携帯していた荷物を放置したまゝ鉾田方面へ線路上を逃げ出し、本件現場である橋本信方物置内に逃げ込み約二時間そこに隠れていたがそのうち同家の母屋の方で人の話し声が聞え、人が出たり入つたりしている気配を感じ、これは名倉の子分が家人の連絡でやつて来たものと思い込み、この上は物置及びこれに接続する母屋に放火してその隙に逃げ出す外ないものと考え、所携のマツチを使用して公訴事実第一記載のように放火し、更に用心のため付近にあつた万能を手にして同所を出ようとした際、橋本信が右出火に驚いて飛び出して来たのを同人が自分を捕えに来たものと考え恐ろしさの余り公訴事実第二記載のように右万能で同人を強打し傷害を与えたものである。

以上の事実で明らかなように被告人は本件当時極めて異常な心理状態の下にあつたものというべきところ、鑑定人大熊輝雄作成の被告人に対する鑑定書及び証人大熊輝雄の当公廷における供述によれば、被告人は生来性の軽度の精神薄弱の外に府中刑務所服役中名倉義一より鶏姦行為を受けた昭和三三年一〇月頃より主として同人に対する被害妄想的感情に基因する精神分裂病に罹患した疑いが濃厚であり、その後その被害妄想は次第に発展増悪し、本件犯行当時においては、明白に精神分裂病によるものと思われる高度の追跡妄想、被害妄想その他の異常体験をもち、被告人の思考及び行動は全くこれらの妄想に支配されていたものであることが認められるのであつて、結局被告人は本件犯行当時精神分裂病により事物の理非善悪を弁別し、これに従つて行動する能力を完全に欠いていた所謂心神喪失の状況にあつたものというべきである。

そうだとすれば本件公訴事実についての刑事責任を被告人に認めることはできないので刑法第三九条第一項、刑事訴訟法第三三六条前段に則り被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 山口昇 荒井徳次郎 長崎裕次)

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